For Whom The Bell Tells(誰がためにベルは語る)
2016年12月人生におけるこの1年…Page02
ポールの広報担当ステュアート・ベルのブログより
2017年1月11日掲載
さて、話を現在に戻すと、僕の冬休みの思い出も薄れていく中、また新たなる重要な1年に向け準備を進めるべく、どうしてもやらなくてはいけないファイリングを済ませるためにオフィスにいるわけだが、またしても、2016年にポールが成し遂げたことに圧倒されている。いろいろなプロジェクトのファイルを開くと「ワン・オン・ワン」ツアー、「ピュア・マッカートニー」など、ポールについての成果と称賛が果てしなく書き連ねられたポストイットのメモ書きを多数見つけた。
12ヶ国41公演を行い、2016年だけで120万人以上を動員した、最新の「ワン・オン・ワン」ツアーでのパフォーマンスを行ったポールなのだから、クリスマスをゆっくり過ごすのがふさわしいと思われるかもしれない。しかし、これには彼の過去12ヶ月間のその他の活動は含まれていないのだ。彼はSkypeがバレンタイン向けに企画したオーディオ入り絵文字「Love Mojis」の音楽を制作し、その絵文字を公開している。また、彼は自身の画期的な楽曲の作曲について語った一連のVRドキュメンタリーを制作し、マイケル・クロフォードによる「サム・マザーズ・ドゥ・アヴ・エム・スポーツ・リリーフ・スペシャル」にゲスト出演したほか、映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』の次回作にもカメオ出演した。
グラミー賞へのノミネートもあり、彼のキャリアを振り返ったベスト・アルバム『ピュア・マッカートニー~オール・タイム・ベスト』がチャートに見事な結果を残し、イギリスにおいて史上最も成功したアルバム・アーティストとして名前を挙げられ、そして、『ローリング・ストーン』誌の表紙巻頭インタヴューにも登場している。ポールはキャピトル・レコードと再契約を結び、新曲“イン・ザ・ブリンク・オブ・アン・アイ”を映画『エセルとアーネスト』のサウンドトラック用に書き下ろした。そして、あのほんのちょっとした事件、世界的に名高いロン・ハワード監督作品の映画『ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK - The Touring Years』の公開があった。
大方のアーティストにとってみれば、間違いなく一生涯のキャリアに値する活動量を1年でこなしているわけで、素晴らしい1年であったことは皆さんにも同意していただけるだろう。しかし、誰もが皆知っている通り、ポールは大方のアーティストではないのだ!
「ワン・オン・ワン」ツアーに関しては、すでに2016年中にたくさん書いているので、ここで長々と論じるつもりはない。だが、あえて言うなら、ツアーが続く中、ポールは今年訪れたどんな場所にも喜びをもたらした。そして、どんなサプライズが待ち受けているかは、誰にも分からなかった。セット・リストの変更に始まり、折に触れて登場したスペシャル・ゲストや、オーディエンスとの交流まで同じ公演は二つとなかった。4月13日にカリフォルニア州フレズノを皮切りに始まった新ツアー「ワン・オン・ワン」は、多様な会場で開催された。巨大なスタジアム(アルゼンチンでは動員数の記録を破った)やアリーナ、フェス会場、そして、マッカートニー史上初、英国サリー州のパブにあるティピ(テント)に100人を集めた「チルドレン・イン・ニード」チャリティーのショウが含まれる。
ライヴでソロとして初披露した曲には“ア・ハード・デイズ・ナイト”、“ラヴ・ミー・ドゥ”、“ホワイ・ドント・ウィ・ドゥ・イット・イン・ザ・ロード”などがあり、そして、セット・リストに戻ってきたのは、初のザ・ビートルズによるオリジナル曲として遡ること1958年にレコーディングされたザ・クオリーメンの“イン・スパイト・オブ・オール・ザ・デンジャー”だ。また、今回のセット・リストには、この曲と共にリアーナとカニエ・ウェストとのコラボで2015年に世界的スマッシュ・ヒットとなった“フォー・ファイヴ・セカンズ”が入っている。つまり、セット・リストは約60年におよぶ広がりを見せているということだ。
また、強く心打たれる瞬間もあった。リトル・ロック・ナイン(1957年リトル・ロック高校事件の犠牲者であるアフリカ系アメリカ人の9人)の内の2名と会ったことをはじめ、ミネアポリスでは、自発的にプリンスへの追悼の意を表したライヴを行い、アルゼンチンのコルドバではこれまでで最大規模のコンサートでパフォーマンスを行い、ブエノスアイレスでは10歳の少女にベースを演奏してもらうためステージ上に招待し、そしてベルリン公演のステージでは、フロリダ州オーランドで起きた乱射事件を受けて、虹色の旗をまとった。2016年にポールのステージに参加したのは、ニルヴァーナのクリス・ノヴォゼリック、ニューイングランド・ペイトリオッツのロブ・グロンコウスキー、グレイトフル・デッドのボブ・ウィアー、そしてジミー・ファロンといった面々だ。そしてもちろん、2016年10月に行われたデザート・トリップという大型フェスで、ニール・ヤングとリアーナそれぞれと共演してみせた。同じ会場で2週末に行われた、華々しい2度のフェス出演の間に、それらとコントラストを描くように、ポールにとってはこれまででも最小規模クラスの公演の一つを行うため、小さなライヴ・ハウスのパピー・アンド・ハリエッツ・パイオニアタウン・パレスにも出演している。デザート・トリップでのポールのパフォーマンスのハイライトはこちらから。
ということで、2016年はマッカートニーのライヴがレジェンダリー感を増す一方の年であった。こんなことを言うのは変に思われるかもしれないが、ライヴにおけるポールの比類なき功績は、彼自身の過去の作品のせいで影が薄く感じられることが時々ある。ポールのツアーが始まった頃、僕はこの点について考えており、そこで彼にレコーディング作品のキャリアと比べて、ライヴのキャリアはどれくらい重要なのかと聞いてみた。
「実のところ、どちらもとても重要さ」と彼は僕に語ってくれた。「まず曲が必要で、その歌を上手にレコーディングしなくてはならない。そしてパフォーマンスするにはオーディエンスにいてもらう必要がある。だけど、実際に出て行ってそうした曲をパフォーマンスすることは、仕事としては実は別の側面になるわけだけど、とても楽しい。ファンからの反応を直接感じ取れるしね……それに、ミュージシャンとして、自分の楽器をバンドと一緒に演奏するのは素晴らしいし、健全なことなんだ」
ザ・ビートルズのライヴのキャリアはとても大きいが、録音されて残っている伝説によって影が薄められていることが多くある。この話は、彼らのツアー・バンドとしての素晴らしい時代を描いたロン・ハワード監督の映画でも掘り下げられている(そして、もしあなたがすでにご覧になっていても、映像作品を手に入れていただくことをお勧めする。とても素晴らしい特典映像も付いているので!)。
2016年、僕は、ポールと共に多くの信じられないような瞬間を目にする幸運に恵まれた。その中でも際立っていたもののひとつに、9月の『ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK -The Touring Years』のプロモーションとプレミアが挙げられる。僕は当時、このことがとても特別なものになると分かっていたので記録を付けていた。それがやっと整理できたので、この場で皆さんと分かち合いたいと思う。
#ポール来日
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